12/14/2018

五年ぶり



今日は、なんと5年ぶりに車の運転をしました。
3か月前までは、もう一生乗らないと決めていたというのに。

乗らないという過去の決断にも、乗るという今回の決断にも
5年分の月日の重みが大きく関係したと思います。
その間に私の恐怖心も、少しずつ溶けていったのかもしれない。






車に乗れなくなった2013年は、父が病に倒れ、秋には亡くなり、
私にとって耐え難いことが次から次へと襲ってきた年でした。

 翌年には愛犬セラフィンの闘病と死、その翌年は私の緑内障発覚。
恐れや悲しみは、精神状態を不安定にし、
車を運転することだけでなく、電車に乗るのも苦しくて
パニック障害だったのだろうなぁ・・・と、今振り返れば思えます。

苦手になって行く様々なことを、「出来なくてもいい。」と
自分に言い聞かせて、だんだんと日常を取り戻してきたのです。

そして、唯一運転してきた母の年齢と車検の関係もあり、
来年の夏には車を手放し、車の無い生活をする覚悟を皆で決めていました。

それが3か月前から、ふと「また運転する」という考えが湧き出てきたのです。 
大きな理由のひとつは、シャーロットが突発的に怪我をした時、
車があったほうがいいということ。
だとすると、もう運転出来るのは私しか残っていないのです。

何度もこの考えを掻き消し、無理だ!と思いながらも
ずっと一人で考えていました。
元々は好きだった運転。でも・・・いや、もしかしたら?

家族に話せたのは、ここ最近のこと。
期待を持たせて結局運転出来なかったらがっかりさせてしまいますからね。

それでやっと今日、運転をしてみたのです。母を助手席に乗せて。

まず町内を一周、それから信号のある道路に出て、最後は銀行まで。
以前感じたような恐怖心は消え、いたって普通。
ブランクがあっても、不思議と身体が覚えているものでした。

嬉しかったのはもちろんですが、失ったものをまた手にしたような
言いようのない思いがありました。





運転の大きな助けになったのが、眼鏡。
5年前の私には無かったもの。
眩しさも視力も、大きくカバーしてくれました。

昨年、シャーロットを迎えたこともそうですが、
人生には何が起こるかわからない。
だからこそ、素晴らしいのかも。


画像は、10年前に手放した私の愛車。
思い出深いクルマでした。