1/30/2008

ジュモーの魅力












 人形を作っていると、日々人形好きな方達と知り合う機会があります。

皆様、それぞれにディープな人形愛好家でいらっしゃいますが、その好みはさまざま。




「絶対にブリュが一番!」と、特定の人形を徹底的に熱愛される方、


ミレットなど、小さめな人形を好まれる方、


とにかく衣装がゴージャスでなければならない方、


市松人形のみを蒐集される方・・・。




私は自分が作る立場であるので、どの人形も可愛くなっていく段階をじっくりと見ることが出来るためか、フランスの人形もドイツの人形も市松人形も、どれも平均的に好きです。

自分の子供のような存在ですし。




けれど、実はずっとずっと、苦手だった人形があります。


それはなんと、ジュモー。




ジュモーといえば、人形の王様(女王様?)と言ってよいほど、ビスクドールの世界では大変重要な存在です。

けれど、悲しいことに、なかなかジュモーの良さを感じることが出来なかったのです。


あの、くっつきそうな眉毛、主張する眼、やや角張った輪郭・・・
どれも「濃い」・・・。


なので、自分でもなかなか納得のいくジュモーを製作することが出来ませんでした。


今思えば、その人形の良さが理解出来ないのなら、良い人形を作ることは不可能だったのかもしれませんね。
表情の優しいロングフェイス・ジュモーに限っては、そんな拒否反応無く作っていましたが・・・。




それがある時、アンティークのジュモーを見てから、想いが変わったのです。


やっぱり眉毛はくっつきそうだし、眼も恐ろしいほど出っ張ってるし、「濃い」印象であることには変わりはありません。


けれどそれ故の存在感が、実際に目の前にした時に、私を強く惹きつけたのです。

それは、衝撃的なくらいに・・・。




ジュモーは、本当にすごい人形です・・・。


そんな人形を、いつか作りたい。その想いは、私の中にしっかりと刻み込まれました。




 グリーンのドレスは、昨年作ったエミール・ジュモー。


下は、ロング・フェイス・ジュモー。シルクですが、ざっくりとした生地で衣装を作っています。
もちろんどちらも、ウィッグに至るまでオリジナル。

こんな体験を重ねて、最高の本物のビスクドールに近づいて行きたいです・・・。




1/24/2008

はこせこのお稽古







初めてこのビルの存在を知った時、その蔦の絡まる欧羅巴のような風情に強く心惹かれました。

そして1階入り口には、偶然か必然か、お気に入りの珈琲店の支店があるということで、以前、演奏会前の夕暮れ時にパートナーと訪れたことがありました。


是非また来たいと思いながら後にしたその場所に、まさかお稽古事で通うことになるなんて・・・
これが運命でなくてなんなのでしょうか・・・!



2階の工房に辿り着くまでのほんの短い間にも、古めかしく 心が浄化されるような静かな空間。


白いアーチの向こうに、工房はあります。


小さな部屋の中には、レトロな窓に、鳩の模様のステンドグラス。


その窓から外が見渡せる椅子に座って、ほぼ1日、市松人形のための小さなはこせこを作ってきました。

小さいけれど、本物と違わないような本格的なつくりです。

人形を作るものとして、本物をやっぱり持たせたいので・・・。そして、出来るだけ自分の手で作ってやりたいのです。
次はひと月後。今度はまたどんな人形たちを喜ばせるものを作りましょうか?



1/22/2008

オリジナルの人形


 
 洋人形にも市松さんにもなるように・・・と作ったオリジナルの人形。
立たせると60cm以上あります。
まずは着物を着せて、と昨年古い着物を求めたのですが、思ったよりも柄の配置の難しい布で、まずは鋏を入れるまでに悩み悩み・・・なかなか最後まで仕上がりません。
雰囲気だけでも!と、裁断して見ごろのおくみ部分と脇だけ縫ったものを、人形に合わせてみました。
粘土で原型を作っている時から思っていたのですが、この人形は少し怒った顔をしています。
もう一つ作った小さいサイズのオリジナル市松人形は、反対に笑った顔です。
来年の展覧展が終わったら、ごろごろしている作りかけのオリジナル人形を仕上げたいなぁ・・・。
その時は、もう少しやわらかい表情で。

1/15/2008

縁というものは・・・




 


 瀟洒な衣装を纏った西洋の人形はもちろんなのですが、市松人形の優しい眼差しと、着物の古典柄、帯と重ねの組み合わせの面白さにも、深い魅力を感じている私。


今日は、和に関する縁で、最近あった素敵な出会いについて・・・。



 市松人形は本体を作ることはもちろんのことですが、作る醍醐味というのはむしろ、着物となる布を選び、八掛けや襦袢の布を合わせる楽しみにあるのではないでしょうか?(ちょっと、NHK「美の壷」みたいですが・・・)



 その楽しさを教えてくれた、私にとっては恩人のような方が、Nさん。



Nさんは、着物が縫えずに困っていた私に、縫い方をはじめ、着物には格というものがあること、裁つ時の柄合わせや、帯の合わせ方などをを手取り足取り教えて下さり、なんとか一人で縫えるようにして下さった方です。






 Nさんは70代。 とてもそう見えないほど若々しく美しいご婦人です。



そして、その美しさは外見だけのものではありません。常に周りの人達にさりげない心配りをされ、しばらくお会いしなかった時などは、必ず 「なっちゃん、元気にしてる?」 とお電話が・・・。


季節の美味しいものを贈ってくださったり、うちに来られる時は、私の喜ぶような古い帯などをお土産に持ってきてくださったりします。
でも、何より嬉しいのは、いつも私のことを心に掛けてくださること・・・本当に有難いと感じます。


そして、Nさんの素敵なところは、優しいだけではなく、ちゃんと私のだめなところを叱って下さるところです。



人に優しくするよりも、ちゃんと叱ること、面と向かって注意すること・・・それって、もっと難しいことではないでしょうか。 

「あぁ、ちゃんとしなきゃ!」 と、素直に反省できるのは、Nさんの優しさがそのお叱りの言葉の裏に隠れているのが、分かるからなのですね、きっと。





 もう1人、私に和の心を教えてくださる方、W氏。



この方に初めてお会いしたのは最近のこと。知り合いの画家の方の展覧会で、昨年の夏に受付のお手伝いをしていた時でした。



静かに絵を見ていらしたW氏が、帰り際に芳名帳に記帳される時、「私、この先生の絵を1枚持っているんです。」 と、話されたのがきっかけでした。



その話から、W氏が縮緬細工の工房をされていること、その工房が、レトロな建物として有名な、私の大好きなビルの1室にあるということ、そして私も市松人形を作っているということで、大変話が盛り上がり、その後工房にお邪魔したりして、私も縮緬のお細工ものを教えていただくことになりました。



後日、W氏は私の父と同い年、もう何冊も本を出されている、その世界では有名な方と知りました。

けれど、全くそういうことはおっしゃらない控え目な方です。



この嬉しい出会いのことは、早速Nさんへ、お電話でお話しました。





そして、先日驚くことに、偶然にも、NさんとW氏が出会われたのです!

その時にNさんは、私と知り合いだという話をされ、なんとも不思議な縁で、そしてそれぞれに別々の場所で3人が繋がったのです。



喜んで電話でこの出会いを話されるNさん、すっかりW氏の「ふんわりとしたやわらかい雰囲気」 に魅了されたということ。



でも、私はこのNさんとW氏にこそ、共通した「ふんわりとしたやわらかい」もの、厳しく、そしてそれを上回る優しさを感じるのです。





そんなこんなで、W氏の工房には来週からNさんと二人で通うことになりました(笑)。



この素敵な縁が、これからの私に、もっとたくさんのインスピレーションを湧き起こしてくれることでしょう。





 画像の作りかけの市松用の着物は、私の祖母の着物を解いたものを使っています。


2枚目写真の袖には、重ねを合わせています。



もう、92才になる祖母ですが、当時はこの着物を着て、ブイブイいわせていたのでしょうか(笑)?とても粋な着物です。



1/13/2008

過去の日記より 「娘の妄想」

  

 前回書いた日記が、孫想いの父を喜ばせたようで、メールにて 「面白かった!」と感想が届きました。
普段から親孝行できていない娘として、父を再度喜ばせるために、2年前のまだ娘が中学2年生だった頃に、某ブログに書いた日記をここに貼り付けておきます。

(あくまでも2年前のことなので、流石にもうこんなバカバカしいことは・・・と思いますが、この手の信じられない話を今も我が娘時々して、家族を驚愕の渦に巻き込んでいます。)



<2006年3月8日の日記より>


今娘は、期末テスト中です。
なので、一応毎日勉強してみたりしているようです。

さて、今日も社会の本を開きながら、娘は私に言いました。


娘 「私、赤潮って、実はこんなに悪いものやって思ってなかってんな~。」

私 「じゃ、どんなんやと思ってたん?」

娘 「そやな、私の赤潮のイメージはな、むしろ・・・・・」

娘は、勉強の手を休めて、夢見るように語りだしました。


(*ここから娘の頭の中の赤潮イメージです。)


 ここは、海辺の村。

小さな灯台の上から、男が双眼鏡で海を見渡している。


男達は、もう何日も交代で、ここで海を観察しながら、あるものが訪れるのをただ、待っている・・・。

すると、男の双眼鏡を覗く目が、にわかに大きく見開かれた。
そして、男は声をあげた。

「来た・・・赤潮が来た・・・!!」

傍にいた村の青年は、その言葉を聞いて、急いで鐘を打ち鳴らすのである。 

 カーン・・・カーン・・・!!

すると、病で床に伏せていた村の長老の枕元にも、その高らかな音は届き、長老は目を閉じたままつぶやく。

「・・・今年も、とうとう来よったか・・・。」

長老は、周りの者の止めるのも聞かず、杖をついて立ち上がる。
そして、叫ぶのだ。

「祭りじゃっ!!」

港では、男達は既に約束されたかのように、大漁ののぼりを次々に漁船にあげ、女達は、宴の準備に余念が無い。
人々の高揚した様子が、さっきの鐘の音が大きな幸いの前兆であることを示す・・・。

 赤潮・・・それは、素晴らしい知らせ・・・。  
                           (完)


私 「・・・なんで、赤潮がいい知らせなん?」

娘 「だって、プランクトンがいっぱいになったら、魚の餌が増えるやん?そしたら、魚も増える・・・。」

私 「・・・・。」

娘 「なぁなぁ、環境ホルモンっていうのも怖いで~。最近は、鳩がメス同士で巣作りしたりするらしいで~。」

私 「・・・・。」

 テストは、後2日もあるのだ。なんか、答案が返ってくるのがコワイ(涙)。

以上、過去の日記より。

1/08/2008

娘に教えられること


 このお正月のことです。
一人っ子(といっても高1)である娘のために、大人も楽しめるようなゲームをしよう!ということになり、カードゲームを家族でやりました。

ところが、娘の出すカードが、ことごとく私には不利なものばかり。

もちろん、娘は故意に私を陥れようとしたわけではなく、順番がそうだっただけなのです。たまたま私が隣りに座っていたからというだけ。

けれど、不機嫌になる私。


娘 「もうママ、ゲームやん!」


分ってるけど、オモシロくない。憮然。
(この時点で言い出しっぺのくせに、「娘を喜ばせるためにゲームを始めた」ことなど、忘れている。)

それでも何故か、最後にはいつも私が勝ってその日のゲームは終わりました。

 そして次の日、新たなゲーム(モノポリー)をみんなでやりました。

その日も何故か私にツキがあり、他の人の持ち金(もちろん、おもちゃのお金)はどんどん無くなって行く一方、私は一人で儲けて、ウハウハ気分でした。


すると、昨日の一人勝ちの妬みもあってか、周りからは突如ブーイングが!

母にいたっては、 「あんたは昔から強欲やった!!」 とまで言い出す始末・・・。


私 (ひどい・・・これってゲームやん・・・)
心無い言葉と集中攻撃に、なんだか悲しくなってきた時、それまで黙っていた娘がおもむろに言いました。



「みんな、ゲームやで!」


それは、大人気無い大人達への警告のように、その場に響いたのでした・・・。

その時、冷静な目で見ていた娘だけが、正しい心でみんなを諭して私を助けてくれたのです(涙)。(もちろん、昨日の娘への行動も思い出す私(恥)。)



そして、石峰寺に初詣に出かけた帰りの電車でのこと。


降りる時に、座席に転がっていた空き缶を見て、黙って拾ってホームのゴミ箱に捨てる娘。

普段から、電車の中の優先座席付近では必ず携帯の電源を消しますし、お年寄りや赤ちゃんを抱いている人がそばに来れば、必ず黙って席を立つ(恥ずかしいから、どうぞとは言えない)子です。


なんだか、そんな当たり前のことがちゃんと出来る娘に、ちょっとだけ鼻が高い私なのです。かなりの親バカですけど(笑)。


 そんな娘が、誕生日の朝に「おめでとう♪」とプレゼントをくれました。

Afternoon Tea のマグカップとチャイのセットです。私のことをとてもよく分かっていて、毎年何か因んだものを選んでくれます。今年は紅茶でした!

マグカップの中には、陶器の茶漉しも付いています。うん、なかなか優れもの。


かなちゃん、どうもありがとう!

そして、家族のみんなもそれぞれに素敵なプレゼントをどうもありがとう!
                               どれも大切にいたします♪

1/03/2008

2008年初詣・石峰寺・その2












 更に奥の坂を上りきり、もう一つの赤い門をくぐると、五百羅漢のある竹林があります。


 静かな静かな竹林の中に、気が付けば 石仏がいっぱい!!
どれも味わい深い表情で、どこかユーモラス。 探せばきっと、誰でも自分にそっくりなものを見つけられそうな気がします。
石仏達は、寝転がっているのもあれば、居眠りしているものもあります。
なのに、最後の賽の河原では、お釈迦さまを囲んで、皆別人のようにすましている様がとても可笑しい。
ほんわかしたムードの石仏達なのです。
 
 昨年、この石峰寺の石仏が、どうやら人間らしき手によって、倒されたり破壊されたりした事件がありました。
修復された後だったこともあり、その惨劇の跡はありませんでしたが、人々が長い年月かけて大切に守ってきたものを、遊び半分(かどうかは知りませんが・・・)で壊してしまうその神経には憤りを感じます。
古いものを大切にする・・・それを当たり前と思う心が、現代人には欠けているのです。
もちろん、それは私にも当てはまらないとは言い切れません。今回の石仏巡りで、自らも反省。
 
帰宅してから、この事件の犯人が地元の児童だったことを知りました。
(けれど、自首してきたというこの子供達、きっとものすごく反省したことでしょう。その経験を活かして、古いものを大切にする心を、周囲に伝えて行ってくれると石仏も浮かばれることと思います。)
 
 最後に、みんなで手編み手袋を空にかざし、記念撮影(笑)。
                          
                          今年もそれぞれに頑張ります♪


2008年初詣・石峰寺篇・その1





 お正月の初詣、予定通りに京都深草にある、石峰寺に出かけて来ました。

昨年に伊藤若冲の大きな展覧会があったことや、大晦日にもテレビでこのお寺が紹介されていたことから、「混雑するのかも・・・」と一抹の不安を感じながらでしたが、深草で下りた人々は皆、伏見稲荷神社の方向へ。

石峰寺には、前方に1組の夫婦がいるだけで、心配するにはおよびませんでした。(お正月にはあまりに寂しすぎるかな?)



 石峰寺の特徴の1つは、階段の上にある入り口の赤い門です。

どことなく、中国を思わせます。



門をくぐって1歩入ると、中には見事な南天がたくさん!

干し柿がつるしてあったり、レトロなブリキの注意書きがあったり、なんだか小さい頃見た風景がありました。

その懐かしさが、とてもよかった・・・。



若冲のお墓も、静かにそこにありました。