10/25/2015

命日






 今日は父の命日。

もう二年も経ったんだ。
 今でもどこかに父がいるような気がして仕方ないのに。







父とは仲が良かったと思います。

人並みの反抗期に、嫌で仕方の無い日々もあったけれど、
それを過ぎてからは、時には小さな衝突はあっても、
次の日にはお互いケロッとしていたものでした。



 父は、ワンマンな人でありました。
 それなりに文句も言いたくなることは多々あって!

 家では膝の上にマルチーズのレミちゃんをのせて、冗談ばかり言いながら
ご飯を食べ、お酒を飲んだらすぐに寝てしまう。

仕事を家庭に持ち込まない主義だったので
家で会社の話をすることはありませんでした。

ある時会社に父を訪ねたことがありました。
偶然にもその時、仕事に対する怖いくらいの厳しい姿を目の当たりにし、 
心底驚いたことがあります。
私の知らない姿でしたから。


父の葬儀の時には、「よく怒られて泣きました。」という声を、何度も聞きました。












 身内に対する愛情の深さは、本当に度を越えていて、
孫である娘が生まれてからは、その愛情がそっくり移ってしまったかのよう。

雨が降れば会社から電話がかかってきて、「学校に傘、もってったか!?」 
ミミズが怖くて歩けない話を聞けば、家の前からの長い道をたどり
ミミズを探して一匹一匹取り除くのです。

「一生、あの子の前のミミズを取ってやることは出来へんで!」といくら言っても、
それでも、こうやってあげられるうちはやるんや、と
地面を見ながら、ゆっくり取り払っていた姿を思い出します。

 誰にも止めることの出来ない、盲目の愛情でした。




 最後に病院に会いに行った時、もう父は体力が残っていなくて、
それでも私たちに飲み物を買ってやろう、と 病室の外の自販機まで行くと言います。
買ってくるからといっても、聞きません。

自販機の前でお金を入れようとして、ふと後から来たおばさんに気付いた父が
「お先にどうぞ」と順番を譲った時、あぁ、本当に父らしいな、
 自分は歩くのもやっとなのに、こんな時まで、そういうふうにするんや、と涙が出ました。
その姿は一生忘れることはないでしょう。

 仕事は厳しかったけれど、人には一貫してやさしかった。









毎日、いろんなことを思い出します。