今日は父の命日。
もう二年も経ったんだ。
今でもどこかに父がいるような気がして仕方ないのに。
父とは仲が良かったと思います。
人並みの反抗期に、嫌で仕方の無い日々もあったけれど、
それを過ぎてからは、時には小さな衝突はあっても、
次の日にはお互いケロッとしていたものでした。
父は、ワンマンな人でありました。
それなりに文句も言いたくなることは多々あって!
家では膝の上にマルチーズのレミちゃんをのせて、冗談ばかり言いながら
ご飯を食べ、お酒を飲んだらすぐに寝てしまう。
仕事を家庭に持ち込まない主義だったので
家で会社の話をすることはありませんでした。
ある時会社に父を訪ねたことがありました。
偶然にもその時、仕事に対する怖いくらいの厳しい姿を目の当たりにし、
心底驚いたことがあります。
私の知らない姿でしたから。
父の葬儀の時には、「よく怒られて泣きました。」という声を、何度も聞きました。
身内に対する愛情の深さは、本当に度を越えていて、
孫である娘が生まれてからは、その愛情がそっくり移ってしまったかのよう。
雨が降れば会社から電話がかかってきて、「学校に傘、もってったか!?」
ミミズが怖くて歩けない話を聞けば、家の前からの長い道をたどり
ミミズを探して一匹一匹取り除くのです。
「一生、あの子の前のミミズを取ってやることは出来へんで!」といくら言っても、
それでも、こうやってあげられるうちはやるんや、と
地面を見ながら、ゆっくり取り払っていた姿を思い出します。
誰にも止めることの出来ない、盲目の愛情でした。
最後に病院に会いに行った時、もう父は体力が残っていなくて、
それでも私たちに飲み物を買ってやろう、と 病室の外の自販機まで行くと言います。
買ってくるからといっても、聞きません。
自販機の前でお金を入れようとして、ふと後から来たおばさんに気付いた父が
「お先にどうぞ」と順番を譲った時、あぁ、本当に父らしいな、
自分は歩くのもやっとなのに、こんな時まで、そういうふうにするんや、と涙が出ました。
その姿は一生忘れることはないでしょう。
仕事は厳しかったけれど、人には一貫してやさしかった。
毎日、いろんなことを思い出します。