6/30/2014

「庭の時間」という本




 ふた月前に、金沢のパートナーのお母さんから、娘へといただいていたこの本。

先に私に読ませて!と手元に置きながら、
心落ち着かない日々に、なかなか開くことが出来ませんでした。

やっと先日から、読み始めています。










 これは、ただの料理本ではありません。

ものごとの捉え方の奥深さ、
上っ面だけでなく、真に丁寧に生きるということが、
言の葉に綴られています。

自然の摂理の壮大さと自分の愚かさのコントラストに
なんだか泣きたくなってしまう。


 6月「旬のことほぎ」より

造化の妙と申しましょうか、海のものと山のもの。
野のものと山ののものは、互いに離ればなれで在りながら、申し合わせよろしく、
同月同日さながらに、手を携えて、私どもの前に立ち現われます。

畠の隅に芽紫蘇が緑と紫をこきまぜ、しとねを敷いたごとくにびっしりと芽を出せば、
鰹はかならず、ここ江の島沖に到達するのです。
芽蓼が虫眼鏡を使いたいほど、細々と紫紅色の芽を見せれば、
川では鮎に脂がのっている証しです。

筍がむっくり、土を持ち上げれば、山では蕗、つわ蕗の盛り、
木の芽の芽ざしも待っていましたと呼応します。

人は、あれを作ろか、作って上げよか
これを食べよか、食べさせましょか
こうして心楽しく、生きることのことほぎがはじけます。

自然の仕組みにいざなわれ、心添えして、みんな仲良く、
ひと日ひと日を重ねてゆくのです。
なんと生きてゆきやすい、無理のない在り方でしょう- あったでしょう。


(中略)



 海山のものが呼応する、その仕組みを人は生きるのに。
その具現化が暮しなのに。
暮しの集積が生活なのに。
造化の仕組みの見える人、見ぬく人が激減してしまった。

子供達の可能性が惜しまれてならない。










辰巳芳子さんのことは、「命のスープ」で話題になられた時、
「ふうん。」と思っただけで、ほとんど興味無くきたのですが、
こういう方が、もっともっと必要なのだと思います。

人が人らしく生きるために、
その根本の摂理の不思議、凄さを知れば
おのずと生き方も変わることでしょう。

現に私は、震えるような衝撃を受けました。
なんにも分かってなかったのだなぁ・・・という恥ずかしさと
新たに知るという喜びと。


お母さんが大切になさっているご本を
娘に贈ってくれた意味が、分かるような気がしました。




これは素晴らしい本です。