先日、「ニジンスキー 神の道化」を読んだ後、
すぐさま「ニジンスキーの手記」を読みたくて、図書館の蔵書検索をしました。
この本の翻訳は2種類出版されていて、
残念なことに、図書館には古い翻訳のものしか無く、
しかもそれは抄訳で、
生前、自分に都合の悪い箇所を
ニジンスキー夫人のロモラが抜き取ったもの。
そんなことを知ると、
抜き取られたそこを読みたくなるのが人情というもので・・・
一方、新しい(といっても14年前出版)の翻訳本は、そういった抜けも無く、
「ニジンスキー 神の道化」の著者による翻訳でもありますが
既に絶版!
なので古本を、しばらく探していました。
(いや、古本は出てるのです。
でも、どれもすごく値上がりしていて、最低でも定価の2倍近い価格。)
ところが、1週間程して、ひょっこりと定価を下回る古本が出た!
すぐさまカートに入れ、今無事、手元にあるが、これです。
安かった理由は図書館のリサイクル本の為ということ。
でも、私には全く問題ありません。
中を開いてみて驚いたことに、
その本には誰かが借りて読んだ形跡が無いばかりか、
手にとって開かれたことも皆無のようで
すべすべのまっさらの紙。
なんてもったいない!
この手記は、ニジンスキーが精神に異常をきたし始めた
29歳の年のたった6週間にかかれています。
読み始めて、すぐに思い浮かべたのが
ペーター・ポングラッツの「日没」という短い小説。
著者が精神病理学を研究しているらしく、
読むごとにこちらも錯乱していくような、狂気の作品でしたが
ニジンスキーの文章にも、明らかにその兆候が表れています。
そして、頁をめくるごとに、その狂気はスピードを増して行く。
「 私はもっと踊りたかったが、神はもう充分だと言った。」
とても 印象に残ったせつない一文。
まだまだ、健康であれば十分に踊れたのです。
あまりにも、惜しい・・・
それしか言葉が出てきません。
「神の道化」という言葉を聞くと
どうしても、この どこか物悲しい
ぺトルーシュカのポートレートが思い浮かびます。
まだまだ、ニジンスキー熱は続きそうな秋。