3/25/2008

次女のこと

 3月を迎え、春を感じる頃になると、必ず思い出すことがあります。

それは、次女のことです。

私の親友と同じ誕生日、そして長女と全く、同じ木曜日の12時3分に生まれた次女は、私が二人の子どもの母になれた・・・と幸福な気持ちでいっぱいな時に、突然神に召されてしまいました。

毎年この季節は、春の喜びを感じる一方、心が締め付けられる想いにもかられます。


 そして今日、知り合いの画家の方達の2つの展覧会が、心斎橋の百貨店の美術画廊にてありましたので、母と二人で出かけました。

会場に入ると、すぐに1枚の絵が目に入りました。

それは、薄ぼんやりとした光の中に、死んだ蓑虫と枯れた柊の小さなひと枝が描かれた絵でした。


心の中がざわざわとしてきて、14年前の出来事が胸に甦ってきました。

    私の次女の名は、「柊」というのです。

次女の名前は、産まれるちょっと前に偶然読んだキリストのエピソードが心から離れずに付けました。
それは、キリストのいばらの冠から流れた血が、柊の赤い実になったというもので、なので柊は聖なる木と呼ばれるようになったというものです。

次女が亡くなった時、「こんな名前をつけたから亡くなった。」と言われ、苦しんだこともありました。

けれどその後、私はカトリック教会に通い、1年後に娘とともに洗礼を受け、娘は12年間カトリックの環境で学ぶこととなりました。

それは、たった1日しかこの世に存在しなかったけれど、次女が導いたのだと思います。

 展覧会のその絵は、本来なら枯れて寂しげであるだろう柊なのに、何故だか希望と安らぎを感じさせてくれるものでした。

それは、傍らに蓑虫がいたからだと思いました。

見入っていた私に画家の方が、

「この絵は、これまでも、そしてこれからもずっと寄り添っていく・・・という気持ちを表現したものです。」

と説明された時、不覚にも泣き出してしまいました。

あまりにも、私の心情と同じだったからです。 

次女は、いつまでも私の中で、小さな小さな赤ん坊のまま、確かに生き続けているのです。


今日は、本当にあの絵を見ることができてよかった。
これも、きっと何か運命のようなものだったのだと思うのです。